犬のふぐり

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本『「世間」とは何か』 オッス、オラ「世間」、出る杭は二度と出て来れなくなるまでぶっ叩くゾ!

阿部謹也の著作『「世間」とは何か』を読んだので覚え書きをしたいのです。

 

「世間」とは何か、というタイトルがドストレート直球勝負のこの本。万葉集の時代に遡り、仏教との関わり、明治以降の時代や作家たちを登場させながら、「世間」について考察されている。この前書いた記事の『「空気」と「世間」』と同じく現代新書のロングセラー。

 

 

ball-of-right.hatenablog.com

 

 

「世間」に埋もれて溺れそうだよぅ・・・

 「世間」にしばき回されて、「個人」を確立出来ないぜメーン。どうしてだろうか。しばかれたら、しばき返す・・・倍返しだ! とは行かない。「世間」には実態が無い。ムカつく上司は少なくとも人間の形をしているけども、「世間」は形を見せない。

 

「自分は無実だが、世間を騒がせたことについては謝罪したい」と語ることがある。この言葉を英語やドイツ語などに訳すことは不可能である。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うことになるであろう。ところが日本人の場合、世間を騒がせたことについて謝罪することになる。 

 p20の「世間を騒がせたことを謝罪する」から

 

「世間」はしばき回せない代わりに、「世間」に対して謝ることはできる。「世間」さんったら鉄壁・・・。鉄壁故に無敵。パールさんかな?

 上記の引用の続きには、

 

このようなことは、世間を社会と考えている限り理解出来ない。世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。 

 

 だから、自分が所属する世間へ迷惑がかかるかもしれない、と考え謝罪する。

 謝罪会見などでは確かに「世間」に対して謝る、ということがよくあるように思う。個人的には「世間」に謝ってお茶を濁そうっていうなら謝罪会見なんてしなくて良いし、間違ったことはしていないなら徹底して謝罪の言葉など発さずに「会見」のみすれば良いと思うのだが、とりあえず「世間」に謝ることによって、会見の主人には少しだけ攻撃の手が緩む。その際のインタビュアーやら記者たちも、「オラ謝れよ、世間様が怒ってんぞおい」みたいな気持ちで臨んでいた様子が少し緩和する。

 

 そんな「世間」が煩わしい、うるさいと考えていた人は平安時代からいたらしい。現代では宝くじなどの例を取って、日本での「世間」が一体何なのかの考察が進む。

 

手を繋いでみんなで1位でゴールを切ろうぜって、みんな最下位やん、素敵やん? 

 だけど、「世間」が提供する所属意識や地位、居場所という安心感の中に包まれていたい、という気持ちも誰しもがあるはず。結局、「世間」って何なのか。読み終わった後も考えつつ、とりあえず思ったことでも書いておこうとブログにグニグニと書いてみあた右の玉です、こんばんは。

 

 一番の収穫は、夏目漱石の『坊ちゃん』の読み方、解釈の一つが書かれていたこと。昔読んだ時は、面白いなーと思ってただけだけど、この『「世間」とは何か』のおかげで、『坊ちゃん』も「世間」をテーマにしていることがわかりました。ありがとうございました。ちょっくら『坊ちゃん』を読み直さねば。

 

 世間って何なんでしょうね。