犬のふぐり

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本『「空気」と「世間」』 「空気」で溺れそうだよぅ・・・

鴻上尚史(コウカミ ショウジ)の著書『「空気」と「世間」』を読んだので覚え書き。

 

 

あらすじ

日本人は「世間」と「社会」の間をバランスよく生きる新しい生き方を始めたのだ

 

 

内容のポイント

 帯には

「空気」を読まずに息苦しい日本を生き抜く方法

会社、学校、家族、ネット、電車内 どこでも「うんざり」してしまう人へ 

 といったコピーが記されています。

 「おわりに」の章では、

いじめに苦しんでいる中学生にまで届いて欲しいと思って書きました。ところどころ、大人には簡単過ぎると感じられる描写があったらそのせいです。 

 とも書かれており、大人のみならず中学生や高校生にも読み通せるようにとありました。

 

 「空気を読め」という圧力に少なからず悩まされている人に向けて、そもそも「空気」とは何か、「空気」の正体を捉え対応策を考えようという主旨。

 この本が書かれたのは2009年なので、それ以前から「空気を読め」という言葉は盛んに言われていたのは確かだ。2020年現在でも同調圧力はどこにでも存在しているように右の玉は思いますが、それはともかく。

 

 まず「空気」=「世間」が流動化したもの、とのこと。村社会ではルールを破った人を村八分にするような「社会的ルール」がありました。この「社会的ルール」、暗黙のうちに守られることや隣近所で助け合うという活動の中で生まれてくるモノが「世間」。暮らすためには不可欠な相互の協力から生まれたモノが「世間」であり、第二次世界大戦時などには、「日本」という一番大きい社会の枠が求める大きな「世間」と小さい社会の「村」が求める「世間」の目的が合致し、戦争後の高度経済成長期には村的社会は無くなったものの、地域の繋がりはまだあった。その地域の繋がりと、終身雇用を約束する「会社」が「世間」の役割を担った。

 

 現代では、地域の繋がりや終身雇用など日本的会社形態は壊れ始めており、同時に「世間」も壊れ始めた。しかし、結局「世間」は壊れ始めたことによって流動化し「空気」というよりわかりにくいモノとなって、日本人の生活へ浸透している。

 

『「空気」と「世間」』 個人的まとめ

 右の玉的には、

「世間」=ルールを強制させる雰囲気など。単純に言えば日本人の同調圧力

が言葉が変わって「空気」と呼ぶようになっただけなのかなと解釈。

 そして、本書の中では結局「世間」は壊れながらもマスコミとインターネットによって復活もしていると書かれています。確かに。

 Twitterでのきゃりーぱみゅぱみゅさんの発言に批判が殺到したみたいなニュースにびっくりしました。すみません、前後関係をよく知らずにニュース記事のみで書いてますが、割と芸能人の政治的発言とかがタブー視されるのってかなり感じるな、と思ったので。

 その「意見」ではなく、そもそも「意見」を言うなみたいなリプなんかはもうすごいですね。ただ、これが日本人を大衆化した場合に起きる同調圧力の象徴そのものかなと思ったり。

 

 脱線してしまいましたが、『「空気」と「世間」』の結論としては、複数のグループに属する事。絶対的な「世間」など無い事。「空気」や「世間」に怯えなくて良いんやで。バランスよく生きたったらええねんってことが書かれていた、と右の玉は思いました。ありがとうございました。