小説『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』副題があったことに読み終わってから気づいたよ
一度は聞いたことがある「フランケンシュタイン」。映画等を見ていなくても、なんか頭からネジが出ている怪物のイメージは多くの人が頭に浮かぶのではないでしょうか。
「フランケンシュタイン」という言葉の響き自体が「恐ろしい怪物」を表すモノとして消費されているかと思うのですが、そもそも「フランケンシュタイン」は怪物の名前じゃないんです。
そんでもって、この小説面白いんです。
読んで欲しい度、星3つです!!! 注文ですよ!!(チューボーですよ風に)
あれ、でも上の商品画像とか見ると「フランケンシュタイン」としか書いていないな。でも、この副題も大事なポイント。
そんなわけで小説『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』をオススメしちゃおう。そうしよう。
ネタバレしてたらすみませんの世界です
作者はメアリー・シェリー。
メアリー・シェリーの父は無神論者、アナキズムのパイオニアことウィリアム・ゴドウィン。母はフェミニズムの先駆者と呼ばれるメアリー・ウルストンクラフト。
文学界に名の知れた両親の元に生まれたメアリー。子供の頃から物語を書いたりすることは好きだったと彼女自身が書いた後書きにも書いてある。
後書きの中には、この『フランケンシュタイン』が生まれたきっかけも書かれている。主人やその友人らと幽霊譚をそれぞれ書いて見せ合いっこしようぜ!ってなったとのこと。しかし、ずっとメアリー自身は書きあぐねていた。「えーみんなすっごい想像力あるじゃん、どうしよう・・・」ってなっている時に着想を得て、、といった感じなのだが、この作者自身の後書きも面白いのでぜひ読んでいただきたい。
副題の「あるいは現代のプロメテウス」って何だ?
「あるいは・・・」って始まると映画『あるいは裏切りという名の犬』を思い出しちゃいますよね。原題は単なる地名だけど。
そして「プロメテウス」っていったら映画『プロメテウス』。エイリアンシリーズのどの位置にあるんだかよくわからないんだけども、エイリアン怖すぎて(右の玉はグロいものが苦手です)「プロメテウス」の意味なんて気にして無かった。
一体何なんだプロメテウス! なんか響きがかっこいいぞプロメテウス!
せーの! プロメテウス!
ギリシア神話に登場するプロメテウスは、ゼウスに命じられて土と氷で人間を作るのだが、寒さと暗闇に怯える人間に同情して天界の火を与えたことでゼウスの怒りを買い、永遠の罰を受けることになる。
(訳者後書きより)
そうだったのか。ゼウスってすぐキレますよね。読み終わってもしばらく副題があることに気づかなかった(小説の表紙には書いていない、2ページ目くらいにひっそり書いてある)のですが、副題もあるともっと楽しめるかもしれません。この小説にメアリー・シェリーがどういったメッセージを乗せたかったのか。
フランケンシュタインは博士の名前だよ★
そうなんですよ、私読むまで知らなかったんですけど。絶対あの怪物の名前がフランケンシュタインだと思うじゃないですか。
でも違う。怪物は怪物としか呼ばれない。怪物には名前が無い。名前すら与えてもらえなかった。
端的に言えば怪物の暴走は「愛」を求めるが故なのですが、怪物にとっての創造主たるフランケンシュタイン博士からの愛が絶望的に欠落しているんです。自らが生み出したモノのあまりの恐ろしさに名前すら与えずに逃げてしまった。
怪物は怪物という概念の中でしか生きられなくなってしまった。「外見で判断される」ことの恐ろしさ。外見でしか判断されない、自らの中身を見てくれる人が誰一人いなくなってしまった時、「怪物」となってしまった。
この小説の面白さは、「怪物」をこの世に産んだのは誰か? という問いかけが言葉にはされないけど、ひしひしと感じて、考えさせられるところ。
少なくとも右の玉は考えてしまいました。差別、偏見、ステレオタイプにしかモノを見ることが出来ない恐ろしさ。
名前も無い彼が、最初は言葉も持たなかった彼が、「怪物」となったのは何故か。
彼の性格、彼の中身を作ったのは誰か。誰もが怪物を生み出せる。誰もが怪物となり得る。